櫻田の独白

 私がCERNにお世話になっていたのは、短い間だけのことです。ほかの研究員たち同様、私も契約を交わして在籍していましたが、契約更新の際、条件や待遇面から自分の業績が理解されていないことを感じ、エージェントを通じて抗議したことで、最終的には契約決裂に至った次第でした。

 今でも、夢の中で思い出します。毎日地獄のような忙しさでしたが、同僚たちは飛びぬけた個性派ぞろいであり、日々刺激に満ちた研究生活でした。

 かつてCERNは、優秀な学生に数年万円単位の報酬を提示していましたが、その時期に入社したMITの首席の人物が同じ島に所属していました。彼の年収がいくらだったかはわからないですが、とにかく彼は同じ時期の学生の中で突出したエリートだったはずです。そういう人物と同じ職場で働いていると、自分が世界の中枢に関わっているといううっとりとした錯覚を覚えました。

 彼の名前をインターネットで調査すると、幼いころから様々な分野でされ神童として頭角を出し続けている人物だとわかりました。

 

 彼がそういう人物であることを知った時は驚きました。彼は最初、CERNの中で特に声が大きく、絶えず後輩に難癖をつけてまわるお騒がせ者といった印象を放っていたからです。その声は、エリートというよりはむしろ知的障碍者のダミ声に似た耳障りで濁った声でした。

 今にして思えば、ある種の頭脳というのは、まさしくそういう知的な障害と紙一重のものによって限界を超えた性能を発揮するものなのかもしれないという気がします。

 

 逆に、噂では非常に優秀だとされていた上長が、実は思いのほか平凡な人物であることを知ったりもしました。CERNのような組織で結果をだせるかどうかは、本人の能力だけでなくその人物を起用するプロジェクトの性質や、組織内の政治プロセスに大きくゆだねられることになるのを実感したのです。

 

 そんな時、あるプロジェクトのキーマンが、あのMITの首席の人物だった若者に矛先を向けられ、議論の果てに辞表を出すという事件が起きました。彼が辞めるというニュースは激震でした。次の日にはあと追うように彼の部下たちが次々辞表を提出し、当時私の直属の上司であった人物もまた、CERNを去ることになったのです。契約条件を巡ったいざこざが起こったのも、まさにそんな中での事でした。

CERN

 存在とは何だろうか。質量を持つものが存在であり、質量をもたないものが無である。であるならば、存在論は実は、欧州素粒子物理学研究所(CERN)によって2012年7月4日に発見されたヒッグス粒子からのアプローチによって明快に解明できるにちがいない。

 そう主張していた男が、実はわずか14歳の中学生だった事を知った時の驚きといったらないだろう。

 彼は日本の高校に進学するも、わずか三日で中退し、カリフォルニア大学バークレー校に飛び級で入学した後、卒業間際にその論文とともに行方不明となった。

 彼を知る人物がNASAにいるそうだが、彼はNASAには来ていないそうだ。NASAはずいぶん彼に興味を持っていたが、彼の代わりに近しい知人がリクルートされたのだという。

 

 やがてCERNに出入りがある科学ジャーナリストが、似たような経歴の日本人の話をしているのを聞いたという噂を耳にした。翌朝、我々はCERNに飛んだ。