人はそれぞれ目の付け所がちがっているかもしれないが

 自分にはとても見えない解決策が見える人たちがいる。そういう人たちがいる以上、おれは自分がなんだか不要な存在だと感じる。天才にすべてまかせればいい。おれがなにかをすればするほど、後始末が大変になるだけだ。きっとおれは役に立てない。誰にも迷惑をかけないところで、ゴミの山で巨大なバベルの塔を建てていきたい。

30歳を超えてスプラトゥーンで上位になるためのなんとやらという記事

 昨晩はそのことを考えながらずっと眠れなかった。そのことだけが原因ではないだろうけれど。運動選手などは、どうしても10代後半から20代前半に能力のピークが来る。数学者などの知的研究者も、10代で業績が出なければその後芽がでることはほとんどない。偉大な数学者のほとんどが、そうだったそうだ。

 実はスプラトゥーンのようなゲームでのeスポーツも、一定の年齢を超えるとどんどんハンデを追うことになるということらしい。同じようなジャンルにおける経験値や、心理戦など、年齢を重ねれば重ねるほど有利になる要素があるはずだと信じたいが、実際は年をとればとるほど、スキルの限界は落ちていくのかもしれない。

 自分は30歳を超えているどころか、もうすぐ40歳になるかもしれない。これまでなんの輝きもなかった自分は、今後二度と輝ける可能性はない。輝く人間は、次の世代の若者たちのほうなのだろう。そのことを考えて、ずっと眠れなかった。

人生をよりよく行きたい

 こんなところに書いても誰にもとどかない。だからいいんだ。ぼくは君を愛していると思う。ときどきは嫌になることもあった。それは自分の心の不安のせいかもしれない。言われてもいない悪態が聞こえてくるようで、罪もない君を許せないと思ったこともあった。そばにいるといつも気がつかないけれど、離れているといつも、君が一緒にいてくれたことが幸せだったと思う。いろいろな事情があって、もう一緒に暮らせないのかもしれないけれど、君が部屋に残していったすべてが、いまにも君がもどってくるような気配を感じさせる。だから余計に苦しい。ときどきは戻ってきてくれるけれど、これからまた一緒に暮らせるようになる日は、きっともう二度とこないのだろう。一年たとうが、二年たとうが、十年たとうが、きっと。金さん銀さんみたいに一緒に百歳まで生きて仲良くいようと誓ったことがあった。どうしてあんなことを思ったのだろう。きっと叶わない約束なのに。

 

おれの人生どうなってやがる

 不安だった。勉強した。そして理解した。でも不安は消えない。最初は誤解からだった。急に新幹線で大阪にいかなければいけない用事ができたのかと思った。でもそれは誤解だった。でもそれがきっかけだったと今は思う。誤解にしかすぎないのに、そんなことが次々おこるならもう嫌だと思った。繰り返しになるがそれは誤解だったのだ。そうだとわかったのに、もう後戻りできない。理解できない不安だけが残る。いままでと同じレールにのっていると感じる。今日も散歩にでかけた。しかし河原の道を変な自転車とおっさんがさえぎっていていつもと違う経路で帰ってきた。もうだめだと思った。帰り道わけもなく落ち込んで疲れた。そして尿意をもよおしてコンビニでトイレを借りた。これからどうなるのかしらない。でも今までもどうなるのかしらない毎日を生きてきた。だから今は年齢が原因にせよストレスが原因にせよ異常な食生活や運動が原因であるにせよきたしている心身の異常が癒えるまで、どこか安全な場所に心やすらげる場所にいたい、安楽死でもなんでもいいから未練のないように死にたい、そんな風に考えて、気がついたら不思議なことにコンビニで酒を買って帰ってきていた。そして酒を呑み、最悪な気分になった。こんなことをしている暇はないんだ。おれには時間が、情報が必要なんだ。頭が酔っ払い、何もできなくなってすべて忘れてしまうことで、それらすべての義務から逃げ出してしまっているんだ。

疲れた

 体力を戻そうとこのところ散歩を再開している。むかしは一時間ぐらいのコースだったのに今は二時間もかかっている。歩調が遅くなったのだろうか。ズームテンポネクストは少し歩きにくい感じがあってある時、ズームペガサス37に戻していたのだが、なんとなくふとテンポネクストで今日は歩いてみた。しかしかかとが靴ずれを起こして痛くなり、足をかばいながら途中コンビニによってモンスターエナジーと夕飯を買って帰ってきた。帰宅後、プロテインシェークを飲んで、これを書いている。気分は暗い。人生はこんなものなのだろうか? こんな日々を繰り返しながら寿命を失っていくのだろうか。外からどうでもいい話題と、笑い声が聞こえてくる。彼らは幸せなのだろうか? おれはこんな人生を望んでいなかった。

誰もがみんな、うらやましい

 街にはBMWやベンツのような外車はくさるほど走り回っていて、庭付きの戸建てから子供たちの声が聞こえる。一体、どんな仕事をしていればあんな風に生活できるようになるのだろう。サラリーマンを何年やっても、あんな暮らしはできなさそうに思えてならないが、街は住宅であふれかえっているし、郵便受けはいつもタワーマンションのチラシでいっぱいになっている。

 おれは一生BMWを買えないし、新築住宅を建てるだけの収入も得られないだろう。こんなおれの子供は、きっと健康体では生まれてこないだろうから、子供も作れない。なんのために生きているのかわからない。食べるものはすべてコンビニ弁当であり、飲むものはすべてインスタントコーヒーかストロングゼロモンスターエナジーである。久しぶりに家にきてくれた彼女から言われたのは、睡眠時無呼吸症候群かもしれないので病院にいってみてもらってくれということだった。

 どんな風に生きれば、みじめさから逃れられるのだろう。ダンスミュージックのイベントに昔行ったが、自分だけ浮いているのを感じた。たぶんナイトプールとかいっても溶け込めないだろう。それどころか創作家の集まりにいっても自分だけ浮いていた。病院のロビーぐらいしか、居心地のいい場所はなさそうだ。

 怖いのは自分がどんどん歳をとっていることだ。精神年齢だけはいまだに17歳ぐらいなのに、本当はその倍以上も生きている。身体はもうこれ以上成長せず、あとは衰えていくだけなのだろう。そう、これからの人生は、これまでのみじめな人生よりも、より一層、みじめになっていくのだろう。

自分自身が思っている自分を一度壊さなければならない

 自分はこういう人間だ、こういう性格だ、こういう特徴があり、こういう能力をもっていて……云々というのを、すべて一度、徹底的にぶっ壊してしまわなければならないのかもしれない。自分自身のキャラクターを、自分自身のやり方や癖を、思考の傾向を、全部、全否定されなければならないのかもしれない。そして、完全な敗北の泥の中で、物乞いから少しずつ育ちなおさなければいけないのかもしれない。

それはなんだか劣等感に似ている

 そうだ。奇妙な劣等感だ。実際には、自分は、それなりの環境でそれなりに優秀な人たちと、それなりにリスペクトし合いながらやってきた経験はある。しかし、いつからか急に、それまでも型にはまらないような異様なほどの才能を持った人たちと、意外な環境でちらほら出会う。おれは今までの経験もある。彼らに対して単純に劣等感を感じているはずはない。負けたくない、負けているはずがない、と思っている。にもかかわらず、彼らの実力は俺よりもはるかに上だということをしばしば思い知り、いままで培ってきた自身も経験も、すべて無意味であったことを知って、無力感、敗北感、そして複雑な劣等感を感じる。

具体的に、何が今きついんだろう

 自分の能力不足がきつい。まわりを頼ればいいのだが足手まといになっている感がきつい。自分への期待値がさがって信用されなくなっていくのではという気がしてきつい。自分が役立てること貢献できることが多くなさそうできつい。いずれ自分への風当たりは強くなっていって、自分の居場所はなくなっていく気がするのできつい。

 もちろんそういう気持ちは、今に限らず常に持っていた。だから死ぬ気で働いて、まわりを煽ってるほどの作業速度でタスクをさばきまくり、作業に没頭することで、チームから孤立しながらも自分の居場所をなんとか守ってこれていた。

 しかし今は、あのころとはすべてが変わった。自力でなんとかできるタスクはほとんどなく、何もかも人に頼らなければならない。こんなこともできないのか?と失望されてしまうかもしれない。いままでとまったく違うスキル、コミュニケーションでなんとかするスキルを求められている。けれど、せめてチームの戦力を下げないくらいには、個人としてのスキルも持たなければ、いまの自分はまわりとくらべてあまりにも無能すぎるという焦りは、自分の心と体を少しずつ弱らせているようで、参ってしまっている。

 

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みじめすぎる

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 クソだよな、おれなんて。本当にどうしようもない。肝心なときにも肝心じゃない時にもいつでも役に立たない。人を困らせ、人を悩ませ、人を邪魔して、鬱陶しがられるのを恐れているのに、結局人を困らせ悩ませ邪魔してしまう。すいません、もうしわけありません、ばかり口癖になっている。こんな俺が、ちゃんと生きようとするチャンスを得てはいけなかったのか。どうしても怖気づいて、仲間に入っていけない。軽蔑されているんだな、嫌われているんだな、といつもいつも何度も何度も昔の記憶を思い出して、幻聴に反論している。

そういえば魔女の旅々

 アニメ好きの友人に、Amazonプライムで観たバビロンが最近面白かったという話をだいぶ前にしていて、時々アニメのことがLINEグルチャで話題にでる(そのほとんどはついていけてない。特に私はFateの話題とか全然理解できない)のだが、今期アニメで面白かったアニメとして「魔女の旅々」が出てきて、オカゲンまで先週観たとか言っていた。調べてみたら、あの「魔女の旅々」だった。

 ドッヒャー!?と思った。マジッスカ。しかも普通にアニメ好きなだけで電子書籍界隈でもなんでもない仲間たちからそういう話が聞こえてくるとはと。

 

 むかし同じような気持ちになったことがある。パズドラが出たばかりのころ、パズドラを超えられるゲームをソシャゲ屋で必死に開発しようとしていたころ、まわりには誰もパズドラやっているヤツは当時はいなかったのだが、リリースから数年たって急にファイナルファンタジー14ばかりやっていたソシャゲはクソだと言っていた彼らが、パズドラパズドラ言い出したときもそういう感じであった。

 

 キャズムを超えるってのは、そういうことなんすね。

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