事故死で手打ち、で何が悪かったのか

アメリカン・サイコ [DVD]

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「彩香ちゃん」はもともと警察の捜査の手打ちで「事故死」として捜査をしめくくられる
運命にあったわけだが、畠山鈴香容疑者は「事故死」ではなく「事件」だ!
ということを盛んに訴えていた。
それは何故なんだろうということが、この事件を一番複雑にしている。
もし畠山鈴香容疑者が「彩香ちゃん」を殺したのだとすれば、
事件が「事故死」で手打ちになるというのは、彼女にとって願っても無い展開だったはずだ。
もし自分が「彩香ちゃん」を殺したのだとすれば、それを「事件」だといって
捜査を続けさせるようなことを自分からするだろうか?自分で自分を追い詰める事態を
自分から招き入れることになるような選択を、普通するのだろうか?普通しないんじゃないだろうか?「事故」だったということで、自分は無罪で逃げるのが一番一般的な犯罪者のやりそうなことじゃないだろうか。
畠山鈴香容疑者はなぜ「事故死」ではないと異常なまでに主張しなければならなかったのか?
誰かに冤罪でもかけようとしていたのか?
それとも良心の呵責で自分に罰が下ることを待ち望んでいたのか?
それとも連日のマスコミの取材で、被害者としての自分がある種の特権的な注目をあびられることに酔いしれて
その視線をながびかせるために妙なパフォーマンスを繰り返しただけなのだろうか?