AFXのAnalordを聞くという体験の意味

AFXのAnalordを聴けば分かる。
それは自分という存在が巨大な装置のギアに噛み潰されて1立方センチメートルのコンクリート片の
無数の結合体へとリアレンジメントされるという体験に限りなく近い。
人であるはずの私というこのドロドロした粘性の物体が
小さな四角いコンクリート塊の群れに再構成されるとき、私はすべての記憶の束縛から
自由になることこそが精神の自由の本当の意味であると言う大変なことを、プラスティック的な音の連鎖から
教えられた。
人は年を追うごとに次第に不自由になるだろう。
しかしやがて死に近づくにつれて人は自由へと導かれるのだ。それは危ない思想であろうか?
かつて我々は今ほどの記憶を持っていたのだろうか?
そして年とともに顔に刻まれる不自由な皺は、顔に刻まれた記憶という文字なのではないだろうか?
AFXのAnalordがなぜ人をこんなに自由にするのかという答えはここにあるのだ。
この機械音には、人の記憶の記憶がないのだ。
この音楽は、健忘症の音楽なのである。忘れてしまうという快楽は、何かをやり遂げ、やらなければならなかった呪縛を忘れられる快楽ににて、
人に強度の快感をもたらしてしまう。これはきわめて危険で、ともすれば人を狂わせかねないほど
強烈な快楽である。