会社休みました


異常なほどの全身の倦怠感を感じ、今日は会社を休んでます。
風邪なのかもしれないし、土日が会社行事でつぶれたせいなのかもしれないし、ミナミの風俗店でトラウマを
背負ったのかもしれないし、あるいはボーナス貰って気持ちがたるんだのかもしれないし、
もしくは今の案件の進捗にいやな予感がよぎったのかもしれないし、
または「あいつあのとしでコスプレなんかして正気とは思えん」と会社の人に変な目でみられるんじゃないか
と思ってるところがあるかもしれないし、あるいは単にひさしぶりにタバコを吸ってタバコの禁断症状が
でてるのかもしれないし、もしくは朝の8時から夜中まで飲み続けて二日どころか三日酔いなのかもしれないし、
それとも単に楽しいことが終わってまたあの事務所に戻って仕事のことを考えるのがめんどうになっただけに
すぎないのかもしれないし、単に緊張の糸がほつれて切れて怠け癖がでただけなのかもしれず、
あるいはそれとは別で俺って全然会社に貢献できてないしこのさきも貢献できるようにはならなくて
永遠に先輩をガッカリさせながら自分も形見を狭めて飲み会で恥をさらすことだけのために会社に席をかろうじて
つなぎとめるような形で人生を終えたりなんかしてしまうんじゃないかとか、
とにかくなんか一生浮いた存在としてどことなく違和感を放ちながらなんとなく気がかりなトラブルメーカー
として警戒されていくんじゃないかとか、あるいはもっと踏み込んでみると、
俺のこの社会に対するなんとなく漠然とした罪悪感ってなんなんだろう、世の中に対する
漠然としたうしろめたい想いってなんなんだろう、むかし何かの本で読んだように、
犯罪者は犯罪を犯して罪悪感を感じるのではなく、犯罪を犯す前からやむにやまれぬ罪悪感にさいなまれ、
その罪悪感を慰めるために現実に罪を犯すというのならば、
俺はもしかして本当にエルモの人形でもかぶってなんか犯罪(下着ドロ?)にでも手を染めてしまうとでもいうのか
とか、とにかくぐいっと飛翔していきなり核心にせまると、なんか私生活ではニートみたいに生活している
俺が、会社行事の宴会とかで、装い麗しくとまではいかないまでもみんな似合いの服装をキメてる中で
なんか自分は無頓着な普段着ででていってそんな自分に自己嫌悪してしまい、
なんとなくもやもやして負のオーラがでてしまってそれを引きずってるという感じかもしれず、
そう思えば思うほどやることがしょっぱなからトナカイのきぐるみに着替えて無駄に目立つとか、
エルモの帽子でUSJをめぐるとか、完全に逆走してしまい、すっかり精神的にちぎれた感じになってところどころ
自分が分からなくなったり自分の世界に入り込んだモードで周囲が見えない状態に
なったり、というかもうまわりをみるとどうしようもないエルモ野郎である自分を見る驚きのまなざしが
ささってくるので自分の世界に入り込んで逃避せざるをえなくなっていたわけだからそれもしょうがなく、
ようするにこんな痛々しい自分が痛々しいことを自分で痛感して世界から隠れたくなり
今日は会社を休んだというわけです。
コミュニケーションってのは中々面倒なんもんだと思います。社長はよく雑談力といいますが、
私にまったく欠落しているのがそれだと思います。先輩や上司だけでなく、親しい友人と一緒にいてすら、
場にきまずい沈黙が訪れてしまうのは、私が何も考えずボケーッとしているからだと思います。
ボケーッとしているのに私は無表情なせいでボケーッとしていると思われず、何か考え込んで”押し黙っている”
ように見られてしまいます。何かの戦略があり意図的に黙秘のカードを切っているとかいうような意味でなら
いいんだけど、さすがにそういういみでもないんでしょうか。そういうことをしそうだとも思われなさそうですな。
むしろイラッとしてるとかムカッとしているんじゃないかととらえられてるのか。
そういうのがいやなために、私は割りと本気でボケッとしてるポーズをしていることがあります。
ボケッとしてなくてもボケッとした顔をするわけです。私は別にムカッともイラッともしないし、単にボケッと
してるだけだよというポーズをとるわけです。こういうのはもしやノンバーバルランゲージと言っても
いいんじゃないでしょうか。雑談のような言葉のコミュニケーション能力ではなく、非言語で相手に何かを
分かってもらうというノンバーバルランゲージ。
そんなことはどうでもよくて、問題なのはなんで自分がいきなり唐突にボケッとなってしまうのかだと思います。
目をあけたまま寝てるようなもんです。
私は意識してないと看板を見落としたり方向感覚が狂ってしまうので、ボケッとしてると完全に迷子になります。
一人で行動するときは緊張してるので迷子になりにくいですが、人がいると大抵緊張がとけてボケッとして自分が
どこにいるのかわかりません。あまりにもボケッとしているので、部屋をでるときには荷物の点検を最低5回は
やります。外出時には6点セットがあります。「ケータイ」「財布」「メモ」「カギ」「腕時計」「メガネ」です。
6点はどんなときでも携帯します。今日は何がいるかなどと考えられないほどボケッとしているときがあるので、
毎日習慣にしないと忘れ物をしてしまいます。平日は6点+社員証+カバンの中(カバンの中身はさらに4点セットをチェック)、
休日は6点+車のキーを持ったことを確認します。
こうした習慣があるおかげでボケッとしていても部屋に忘れ物することはほとんどないです。
事務所に忘れ物とか、ホテルに忘れ物とかはかなり多いですが。
ホテルにくつを忘れてホテルのスリッパを履いたまま外を歩いたりしたこともありますから。
しかしそういう話はどうでもよくて、つまりボケッと自分の世界にはいってるせいで、他人に注意をむけて相手の話を
聞いたり相手の気持ちをさっしたりすることができてない時間が多いわけですね。
相手の話を聞いてないとか、投げられた言葉に反応できてないとか、空気的には自分が話題をふるべきなのに、
ボケッと何かを受身でまってるだけになってるとか
そういう風になってしまう。しかしそうだと思ったところで、中々急には自分を変えられない。
変えられるぐらいならもう変わってる。ときどき変えようと場が煮詰まったところであえて新入りなのに生意気な発言をしてみたり
ってことをしてみるけど、すると急にそういう発言をどんどん警戒されあるいは期待され、そういうキャラだと思われて
ますます期待に対してボケッとしてて反応できない頻度が増えるという、まわりにとってみれば
「なんだこのヘンテコな奴は」という感じの状況になってきてるかもしれないところです。
そんな社会不適合者みたいな人間を何で抱えるんだって思われたりしないだろうか。
なんでそういう人にそういう不満を感じさせてるかもしれないながらも平気な顔で出社しつづけるんだそれでいいのか
たぶんいいんだろうし論点がずれてるだけなんだろうが何かそういうことを気に病んでしまうわけでありました。
こんな私ですスイマセンって感じです。足引っ張ってるだけですすみません、と。
でもこんな私でも最低限のポイントはおさえようとがんばりました。
だから私は上司が何で新人を評価するかを考えたりもしました。
新人はたぶん仕事の内容の成果を期待されるわけじゃなく、まずはプロセスとマナーを身に着けていっているかだけを評価
されるんじゃないかというヤマをはりました。
ひたすらコンピュータにのめりこんで没頭し、作ったプログラムで評価されるというのが私の理想でしたが、
まわりは新人のそんなところをみるよりはむしろ、電話をはやくとり明るく応答し丁寧に対応してるかどうかとか
先輩全員に挨拶しとるかとか、遅刻せずに来てるかとかそういうところで評価してるはずだと思い、
朝は始業30分前に出社してとおりかかる社員全員に挨拶し、電話もはやくとるようになりました。
一見すると自分は成長したようにみえるかもしれないけれど、実際はなにも変わっていない。
見放され、見捨てられ、どうしようもない境遇に陥るのが怖くて、保身のためにやってるだけ、
いくらがんばっても、動機がどうも不純なわけです。
本当は全然ダメなのに、一見ちゃんとやったようにみられてしまうから、
だから会社に、世の中に後ろめたい気持ちになってしまう。
気持ちが先立って行動が変わるという面と、行動が変わることで気持ちが変わるという
両側面があって、ようは心と行動は一体になってるんだという話があるけれど、
私は行動を変えた結果、心も成長したというより、単によりズルくなってしまった感じで、相変わらず
明るく素直になれないで苦心してます。明るい素直な人々の中で明るい素直な人間として生きたいっていうのが
漠然とした夢なわけなのですが、自分が腹黒くずるい人間だし、そのせいで回りもそんな自分に合わせてどこか心を腐らせて
しまうことになって、理想とは反対の方向へ物事がつきすすんでいくのをどうしようもなくながめていることしかできない
ような心境です。
生きるためにズルくなるのは、競争のための知恵だという側面はあるのだとおもうけれど、
それは単に自分自身が生きるための利己的な生存を考えるときだけのこと。
本当に大きな目標をかなえたければ、多くのひとたちと助け合い、力を合わせる必要がある。
そのとき、仲間同士で互いを出し抜き、騙しあっていたのでは、力を合わせて協力し合うことはできません。
仲間同士でつぶしあうのではなく、力を合わせて、より大きな目標と戦う必要があるわけです。
まわりがみんな腹黒く、抜け駆けしようとする人間ばかりだったら力を合わせて協力することはできない。
だからみんな素直で明るい性格でいたい。なのに私はどうしても素直でも明るくもない人間。
だから回りを警戒させ、まわりを打算的にさせてしまう。相互不信がまわりに起こり、個人はバラバラになってしまう。
なぜだろう。どうして俺はこんなに悪い人間に?
それはたぶん、結果をいそぎすぎるから。
答えをもとめることを焦りすぎる。目標を意識しすぎて、段取りをとばして目的をかなえようとしてしまう。
さきばしってしまっているんだ。何にしても。
協力し合うにしても、最後には自分の目的をかなえるということを最上段においている。いわば協力しつづけた
あげく最後の最後に裏切って目的を達成しようとしているようなもの。
それを意識しているからどこか本当には心を開けない。打算的に、段階的にしか自分を出せない。
あるいは作ったキャラを演じてしまう。
大きな目標のために協力しあうことは本当に大事だと思うが、目標が具体的すぎると、
それを達成するためにどういうわけか僕は色んな尊いものを、単に道具であるかのように使い捨ててしまうのだ。
プライスレスな、かけがえのないはずのものでさえも。
こんなんじゃだめだなあと思う。
真っ白なピュアな人間になりたいわけです。まったくズルさを持たない、美しい心とまっすぐな精神。
欲望を感じさせることもない、いわば昔の宗教の聖人のような生き方が理想。
人に信じられ、周りの人々が協力し合ってより大きな目標に迎えるようになるために、猜疑ではなく信じあう気持ちが
まわりにおきるようなそういう生き方をしたいと思う。
しかしそれは無理だ。
みんな知っている。俺は真っ黒な人間です。
悪と欲望の塊。それも中途半場でつめが甘い悪人。
これからもそんな哀しい自分を背負って生きるしかないんだね。