ゲームとネットワーク


都内に住んでいると、
満員電車の車内でケータイゲームや携帯ゲーム機をプレイしている人が
結構いることに否応なく気付くだろう。


ゲームは子供の遊戯ではなく、大人の日常にもすっかり溶け込んだ。
スマートフォンソーシャルゲームによって
今までゲームに触れなかった層が、ゲーマー化している。
ソーシャルゲームがソーシャルとなのるように、
ニクラス・ルーマンの捉えるようなコミュニケーションによって成立する社会は
今はネット上にも成立している。部屋の中のゲームから、ネット社会の中のゲームへと
ゲームのフィールドが変わったのだ。


それと同時に、社会のゲーミフィケーションも進んでいる。
ゲーミフィケーションは航空会社のマイレージ制のようなポイントランクシステム
に活かされており、消費を動機づけるためにゲームのカラクリが取りいれられていくことだ。
ポイントをためると、得をするだけでなく、ポイントランクを上げることに
対して動機づけや欲求が生まれる仕組みをゲームから取り入れている。



ゲームというものは、たとえば過去のPCゲームや家庭用ゲーム機では
ひとりでプレイするものが多かったが
本来ゲームは一人でコンピュータ相手に行うことではなく
相手と一定のルールで競争する営みがゲームなのだ。
そういう意味ではスポーツはゲームだし、道具を使って誰かと競い合う
営みがゲームなのだ。


今、ゲームはネットワーク技術とむすびついて
地理や言語を超えてひととひとを競わせる巨大な遊び場を提供できるインフラ
をもっている。
それはもともとオンラインゲームにあったものだけど、
その時点ではまだPCの前という別の地理的制約があった。
それがスマートフォン、ケータイゲーム機の通信機能と結びついて
本当の意味でモバイルな、移動しながらの地理的越境性をそなえたものになりつつある。


そうしたインフラの変化が、
ゲームコンテンツに与えている影響は今は別の理由でネガティヴなものが多い。
フューチャーフォンやガラパゴスケータイのスペックに対応するために
GREEやモバゲーのゲームはほとんどケータイWEBレベルの技術で
作られた、かなり貧相なものが多い。
ただそこでは技術的な制約を乗り越えるためのまったく新しいアイデア
技術はしょぼくても新しい遊び、あるいはむかしながらの遊びを取り入れる
工夫が凝らされている。(カードゲームなど)


いずれ、スマホをスタンダードとした新しい環境にユーザが移行することを
踏まえれば、やがてはある程度の映像技術、表現機能を前提にした
高度な技術をつかったゲームがソーシャルゲームでも実装されていくことに
なるだろうと思う。そしてそれがむしろ引き金となって人々が
高機能なケータイに乗り換えていくインセンティヴにもなるかもしれない。
(かつてPCがゲーマーたちのニーズによってどんどん高スペックになっていったように)


こうした社会変化、
ゲームというものの本質、ゲームが果たすべき役割、面白さとは何か、
ゲームは社会にとって必要なものなのか不要なものなのか、
ゲームは有害なのか、ゲームを社会に役立たせるために必要なこと、
などを


ゲーミフィケーション
・エンターテイメント、アミューズメントとはなにか
・アートとはなにか
・ゲームのシステム
・ゲームのコンテンツ


などなどについて過去から最近までのゲームの動向を踏まえながら、考えてみたいと思う。


ゲーミフィケーションの流れは大きいと思う。
消費を動機づけるための仕組みとしてだけではなく
無味乾燥になっている日常生活を、
ゲームのように楽しみながら生きることが必要になっている。
ポイントをただためるだけではなく、そこにランキング制や
他店舗での利便性を追加するなどして、ためることに動機が駆動されるような
仕掛けが作られていくだろう。
おサイフケータイ電子マネー、電子決済と連携することで
それはますます可能性が増していく。
ただ、そこにかけているのはシステムだけではゲームにならないという
重要な盲点だ。必要なのはコンテンツであり、アミューズメント、
冒険なのだと思う。


amazonにいけば、欲しいものは最速で買える。
しかし消費の楽しみはウィンドウショッピングや立ち読みで発見する
探してなかったけど急に目について思いもかけないいいものがいっぱいあるのを
みつける楽しみだったはずだ。それをとりもどすためのゲーム内ショッピング
というものがあるのではないかと思う。


自分はそれを
ディズニーランドでお土産を買う行為ととらえている。
ディズニーランドには日用品は買いにいかない。
そこにしか売っていない、しかしそこにいったという記念として
そこでしかかえないものを買っていく。
ゲームが画面の中に作られるディズニーランドだとするなら、
例えば難しいエリアに到達し、そのゲーム内の街でお土産を買うと、
宅急便でオリジナルグッズが仮想空間のお土産として届くような
そんなショッピングもありえるのではないか。
スライム肉まんをコンビニで売るよりも、スライム肉まんドラクエの世界の
裏ダンジョンでしか注文できないようにしたほうがよかったのではないか。
などと思う


ケータイゲームは今のところしょぼい一方でPCやコンシューマ機は
異常なほど高スペックになっている。
これらを比較してケータイはボロい商売だというのは簡単である。
ただ問題は、そういう高スペックなゲーム環境よりも、
ケータイのほうが普及しているという簡単な事実がそれをそうさせている。
そしてケータイでは高スペックな表現がいまのところコンシューマ機ほど
できないというところで、ケータイゲーム機の今のコンテンツのあり方が
うまれている。
それは何も悪いことばかりではなく
技術的な勝負ではなくアイデアで意外な面白さ、シンプルな楽しさへと
ゲームが立ち返っていると考えることもできる。
今後、これはケータイのスペックがあがることで、コンシューマ機とかわらない
ものがでてくるようになると思う。
そうなったときに、マニア向けのゲームがならぶのか
手軽でシンプルな楽しさを忘れないゲームが並ぶのかは分からない。
ただ、現にコンシューマゲームのパブリッシャーがどんどんケータイゲーム市場
にも入ってきたことだけは事実だ。


ゲームというものを考えるとき、
それは作り手から見たときは課金システムの構築ということになるかもしれないが、
ユーザからみたときにはそれはコンテンツや世界、可能性の享受だ。
重要なのは、ゲームはエンジニアが作るのではなく
クリエイターが作るコンテンツでなければならないということだ。
ボタンを押したら金が入る課金集金システムではない。
そこにはエンターテイメントがあり、楽しみがあり、
感動があり、人に伝えたくなる驚きがあり、一緒に戦いたい世界がなければならない。
そして重要なのは、そこには生きがいのある世界とはなにかを徹底的に哲学した、
生きがいのある世界が作り上げられていなければならない。
そこで生活できるぐらいの世界がなければならない。
そういうものを描けるクリエイターが、ゲームをデザインしなければならない。



ゲーミフィケーションの普及により、
ビジネスとゲームが融和すれば、
ゲームをすることが現実を生きることとの間にあった差異は次第に薄くなる。
最終的には垣根をこえてゲームとビジネスがむすびつくことになるだろうと思う。
ゲーム内で、宅配ピザを注文し、
ゲーム内で働いて賃金を得るような社会すら想像できるだろう。
それは狂った妄想かもしれないが、
もし日常が異常なほど高い自殺率と異常なほどのさまざまな不公正に満ちた
どうしようもなく理不尽で生きにくい無意味なものであったのだとするならば
それを有意義な世界を作ってそれと日常を融和させることで
日常と非日常が一体化した新しい有意義な社会を作り出せるはずなのではないか。


ゲームは単に快楽を提供する麻薬なのではなく、
大目標(クリア)に到達するための小目標(クエストやステージ)
を明確に段階的に与え、人を導きながら
達成感と成長感を与えてくれる仕組みを作り上げる。
日常の中でよりよく生きるためにはそれを自分で作り上げる必要があるが、
それが描きえない不自由が実社会にあるのであれば、
制度としての現実を、ゲーミフィケーションで変えてしまう革命があっていいと
私は思う。


オンラインゲームは掲示板やチャットの時代の
ネットワークゲームだったとするなら、
ソーシャルゲームtwitterやSNSの時代のネットワークゲームだ。
twitterSNS掲示板やチャットと違うところがある。
それは掲示板やチャットは無意味な書き込みで埋まって廃れてしまう
システム的な欠陥があるが、
twitterSNSは無意味な書き込みが誰にも見られなくなり、
有意義な書き込みがどんどん大勢に広められていくためのシステム的な工夫
フォロー制やマイミク制がとられている。
より実りのあるコミュニケーションで絶えずコミュニケーションが一定の活気を
保つための工夫がとられているシステムだ。
ソーシャルゲームがそうしたインフラの上に載っていることで、
人はたえまなく動き続ける活気の中で、よりアクティヴに人と人をつないでいく
ことができるようになると思う。ただ今は、とても貧しいコミュニケーション
しか許されていないと思うけれど。
たぶんそれはたとえばGREEの出発点である、
mixiは日記でひとをつなげるが日記を毎日つけられる人は少ない、
人はゲームで手軽につながるほうを望んでいるはずだ、というところに
あるのかもしれない。


長文でつながりたい人はmixiに、感情でつながりたい人はtwitterに、
文章じゃないところでつながりたいひとはGREEにいったのだと思う。
オンラインゲームはチャット文化なので、
そこではある程度コミュニケーションが求められてそこではじかれるひともいる。
ソーシャルゲームはケータイなので、長文が入力しづらくて短いメッセージ
のやり取りが主流になるだろう。
そういうすみわけが機能している今だからこそ、ゲーム人口は増えている
のかもしれない。それが端末の進化ですべてが高スペックなゲームになったとき
おそらく長文でコミュニケーションが必要になって脱落する人もでてしまう。
そういう意味で、おそらくケータイゲームはケータイゲームで
残らなければならないジャンルなのかもしれない。


ゲーム産業はBtoBではなくBtoCの産業だと思われているけれど、
実際はお客に直接サービスするわけではなく
プラットフォーム屋に出してもらう必要があるという意味では
実はBtoBなのかもしれないと思う。
直接お客に売るのではなく、直接お客の相手をしているのは店舗の店員だったり、
あるいはGREEやモバゲのインフラだったりする。
そういう人たちに、うちの商品をならべてくれよと交渉する部分は
BtoBなのだと思う。


ゲーム産業には独立して商売できなかったイラスト、音楽、シナリオなどの
アーティストが集まって、作品をシステムにのっけて売る産業だったという
側面はあるかもしれない。
エロだったり、ゲームという要素をフックにして、そういうアートが
コンポーネントとして組み入れられたひとつの世界が売れ、食える。
でも今ではハードの表現力もあがり、独立して食えるどころかそこらじゅうから
ひっぱりだこのアーティストがゲーム業界で仕事をする時代になっている。



ハードの表現力がそこまでの創造力を求めているのだし、
またそれを養えるだけの市場規模にもなっているのだということなのかもしれない。
エンターテイメント・アミューズメント・アートが
コンテンツとして融合したゲームという表現手段が
他の表現手段よりも人を引き付けるようになったといえるのかもしれない。


スティーヴ・ジョブスは顧客のニーズではなく
自分が欲しいもの、やりたいことを信じてものをデザインしていったらしい。
それはビジネスの発想というよりもエンターテイメントの発想だと思う。
お笑い芸人は、顧客ニーズに合わせて笑いを作るのではない。
何が笑えるのかは誰も知らない。誰も知らない新しい笑いや感動を作り出すのが
エンターテイメントだと思う。ニーズは既知のものに対する欲求だ。
しかし感動は未知のものへのwantsへの斬新な解答からしか生まれないと思う。
それがアートに達したエンターテイメントなのかもしれない。


参考URL:
ピクサーの「脚本の書き方」講座がすばらしかった
http://d.hatena.ne.jp/morisawajun/20110124/1295865901#tb