その36:サイコキネティック痴漢技術総合研究所

 工藤怜は、小鉢の中にしょうがを下していた。豚バラを10分間漬け込み、玉ねぎを炒めて取り出し
汁気を取った肉を中火で炒める。そして玉ねぎを戻して漬け汁をさっとかけて強火で炒める。
 サラダを添えて、生姜焼きを作る。


 何もかもが、気のせいであったかのように平和な時間が流れた。
17:00からのミーティングも、研究所も、何もかもが遠い世界であったかに思える。
 タイの観光地、カンチャナブリで生姜焼きを作っている怜には、これが本当の現実のように思える。
今までの日々のほうが、狂っていた。そしてそれはいずれにせよ、遠い海の向こうの出来事であったにすぎない。


 あの日、海浜幕張の地下施設を抜け出した倉橋総一郎と工藤怜は、タイ国際航空を経由して、カンチャナブリへと脱出していた。
何から脱出をしたのか最初はよくわからなかった。
 何日か過ぎ、青いプールに怜が飛び込んだ水しぶきを見ているとき、ふと気がつくことがあった。
それまで垢のように背中にこびりついていたそれまでの過去から、二人は脱出したのだ。


 何も起きることはない。
 当たり前のように、午後はプールで泳ぎ、泳ぎ着かれて夕飯の支度をし、そして明かりを落としてセックスをし、
朝、鳥のさえずりに気がついて目を覚ます。石窯で焼かれたベーカリーとともに、粗びきのブレンドコーヒーを楽しむ。
カーテンが風に揺れ、室内を和らかい空気が通りすぎていく。
 静かだった。食器を洗う音と、鳥の声だけが聞こえた。光はまぶしく外のプールの青さを反射して世界を白く透明に映し出していた。