その51:サイコキネティック痴漢技術総合研究所

 五十貝きみ子は、ブラック企業のOLであった。
 そのブラック企業とは、品川区の中でも運河に接したエリアにそびえるとあるタワーにオフィスを構えた、ギガビット・エンタープライゼスであった。
ギガビット・エンタープライゼスにはさまざまな噂があった。
 その噂のほとんどは、内部関係者であるきみ子にすら、根も葉もない噂に過ぎないものだと思われた。
ところがある日、転職者の一人が、"光過敏室"に軟禁されているという事実を知らされてしまったのである。


 その光過敏室こそが、"ツカエナイ"社員を軟禁し、洗脳し、自主的な退職へと追い詰めていくと外部で噂されているその現場だったのだ。
そこは、物置に似ていた。現に、物置であり、捨てていいのか分からなくなった古の備品の倉庫であった。
そこに何故かテーブルが向かい合って並んでおり、360度から監視カメラが監視する中で、何かが行われている。


 ギガビット・エンタープライゼスは、山のような応募者から選りすぐりのエリートを選別して採用しているというイメージを外向けには見せている。
だが実際は、その山のような応募者を選別するだけの時間はないし、そもそも応募書類は仕事が欲しい誰もかれもが、盛って見栄えの良い内容に水増ししているのだから、
真に受けてもほとんどの場合、残念なことにしかならないことが多かったようだ。
 もっとも、かつてはむしろ書類での選別は重視していた。それはこの会社が、まだ巨大企業になる前の話だった。
要求スキルは、当時はコモディティ化していなかった上、業界は当たり外れの読めない博打商売だと思われていたころがあった。
応募者が尖がった変人であったとしても、スキルを持つ才能を余すところなく独占して飼っていくことが、他社に才能を渡さない戦略上必要だった時代があった。
そしてやがては、才能よりも、すでに社内を支えている一風変わったベテランたちと、"相性の悪くない"人間を選んでそろえていくことが重要になっていった。
彼らはノウハウを組織に溜めた。属人化したワークフローはほとんどなくなり、既存プロジェクトのコピーを量産する段階へと至った今、
求められている人間はもはや、適応力と精神力と体力に優れた肉体派でさえあれば、もう誰でもよくなっていた。仕事内容にアレルギーさえなければである。
そういう意味で、人材の確保は難しくなっていた。書類や面接ではもはや判断できなくなっていた。大量の人間を投げ込んで、大量に挫折させてそれでも生き残る数パーセントを
二軍から一軍へと昇格させる以外なくなっていた。そのやむを得ない構造は、ブラック企業体質だと外目には映るらしかった。
その選別の中でも、仕事内容に対するアレルギー発作の検査を行うのが、"光過敏室"と札がかかったその部屋の正体であった。


 転職者には、さまざまな”教育”が行われる。
 ”教育”は会社ぐるみで行われるというよりは、それぞれの部隊の管理職が、新入りを躾けるために勝手に駆使している様々な手管であるらしかった。
新入りが、部隊のスタメンとしていきなり活躍することは、望むべくもない。そんなことができるほど、スタメンが無能であるはずはないし、新人が有能であるはずもない。
そして、何よりも重要なことは、仕事は、”組織”で行うのであって、”個人”で行うのではない。
個人が様々な個人的な頭脳なり才能なりを発揮することは求められているにせよ、その頭脳なり才能なりは、部隊のものであって個人のものではない。それが大前提なのであった。
イニシアチブを一本化するために、まず最初に行われる”教育”は、その環境に対する情報を与えることと同時に、どれほど優秀であろうと、ここでは組織に頼らなければ何一つできないという無力感を”躾け”ることなのだ。
躾けのできたものにしか、情報は開示されないし、独断で行動しようとすれば、間違った情報ばかり教えられ失敗へと導かれていく。そのことにだんだんと気が付いていき、
そしてやがては次の新人に対して、同じように”教育”を行えば手懐けられることも覚えていく。それが、この会社における”教育”なのであった。