その53:サイコキネティック痴漢技術総合研究所


 ”こんなことを聞くと、馬鹿にされるのではないか”と思って、分かったふりをすると、後々大変な事になるだろう。
もちろん、最低ラインの知識すらないなら、分かったふりをしてもしなくても、大変な事になる。
そして最低ラインの知識があるのかないのかを正確に知り、何を頼めるかを確かめるために相手がコミュニケーションの中であえて何かを教えないこともある。
その時、往々にして、分かったふりをして、大きな役割を投げられると、誰もがとても不幸な失敗か、あるいは苦労するプロジェクトになる。
誰も知らないところで、一夜漬けで勉強して、分かったふりをしていた事を短時間で深く理解できて何食わぬ顔で成功させられる覚悟があるならいいが、
そういうつもりがないなら、分からないことは、分からん、知らんといったほうが、誤解を生まなくていい。
分かるのか分からないのかもわからず、互いの力量を確認しあえなければ、結局協力関係を築けない。相手が成功させられる難易度のレンジが分からないから
頼みたいことが在っても投げられないということが起きるのだ。


 そこで上に行きたければ三つのものを高める必要がある。専門性と、この場特有の仕事の作法と、そして変化が起きたときにそれに適応できるための一般的な理解力の鍛錬だ。
失敗すれば、”光過敏室”へと送られ、最後の確認が行われる。
再教育可能なのか、外のもっと楽な世界のほうが、向いているのかどうかの再確認だ。
それは、ここは楽園ではなく、頂点を競い合うための、バトルロワイヤルの現場だからなのである。