その58:サイコキネティック痴漢技術総合研究所

 -- 奴の名は、ひげもとタオ。
まさにバケモンみてえな野郎であった。
とんでもねえぜ。バビロニアから来た、勇者みたいなやつなんだぜ。マサカリを担いで、ツキノワグマを倒して出社するんだ。
ナイロビの蜂だぜ。凄腕さ。


 仕事の進め方というものは、人それぞれにスタイルがある。どういうやり方、どういう構え方をすべきだということは
中々はっきりとしたことは言えない。その人にしか出せない結果を出せるのであれば、そのほかのすべてがマイナスに振りきっていてさえいい、という人もいれば、
別に結果なんかなくて反面教師みたいな立ち回りを演じていたとしても、そういう役割を率先して担うものがいることが場に過剰にストレスを生まないことに貢献できるからいい、という人もいるだろう。
応援団みたいに戦う環境やら雰囲気やらを盛り立ててくれる人というのも重要になる。組織力は、鉄砲玉だけでは成り立たないのだ。


 優秀な人間とダメな人間がいるのではない。組織は内部の相対関係でみれば、常にその割合が一定になる。
当たり前のことである。偏差値70のエリートだけ集めれば、外からみれば全員偏差値70エリートであっても、そのエリートの内側だけで比較すれば、周りのエリートよりもさらに上という奴と、
エリート集団の中では比較的ビリという奴もいる。大事なことは他人との比較ではなく、自分自身が、出せる力の何割出し切れたかという事のほうである。
そして、上手くいかなかったら、つどつどやるべきことをやり、考えるべきことを考えて、学んで同じ失敗を何度も繰り返さないことだ。それが成長だ。


 案外どうだっていいのである。
長い目でみれば、スキルよりも楽しく組める仲間であることのほうが重要だとすら言ってしまえるときもあるのかもしれない。
まるで家族のように。長い時間を共にすればするほど、互いに分かり合えるものなのだとしたら、友人や同僚よりも、家族のほうが分かり合っているはずなのだろう。
不思議なことだ。
あらゆる修羅場を共に乗り越え、一番長い時間を共にしていながら家族はそんなに互いを深く理解しあっていないところもある。
ましてや親子は脳みその作りも似ているはずなのに、なんで深く理解し合えない部分があるのだろう。


 -- というようなことを、スペッキヲは考えていた。
満員電車のシートにもたれ、半分夢うつつになりながらぼんやりと物思いを巡らせていたのである。
先週の金曜日は久しぶりの朝帰りとなった。
とはいえ、花金の夜遊びに現をぬかして歓楽街から千鳥足で帰ったというわけではなかった。


 何がどうなっているのか釈然としない理由で、抱えている仕事の一つにかなり手こずったのであった。
どう考えてもそれは、簡単なシステム開発案件であった。条件さえ自由であれば、要件を満たすものを作るまでに一日も必要としないとスペッキヲは読んでいた。
少なくとも、打ち合わせ時にはそう思えた。
 だが着手してみると、そう自由にはいかないということが明らかになりはじめた。既存のシステム、既存の環境に合わせることを考えてみると
要件はまったく別様の複雑さを急にあらわにしはじめた。
もっとも初物の環境であってもスペッキヲは柔軟に吸収して対応できはする。だが、それは彼なりの独自のやり方になってしまう。
そうなるとまたまずい。スペッキヲがメンテするわけではないのだから、誰でもメンテ可能なように、あるいはそもそもメンテが簡単にできるように、その場のコーディング規則や品質水準に準拠していなければならない。
 結果として、開発が終わったかに思えた金曜日、ソースコードのレビューが入ってほとんど全面的な作り直しが必要なことが分かったのだった。
その作業は結局、終電を見送って始発が走り始める時刻まで続いた。
が、その結果として作業はスケジュールに追いついた。そのほかにも大小さまざまな無数の別のクライアントの案件を抱えていたものの、
今週は余裕をもってフィニッシュし、いい週末を迎えられそうだった。
 自分が有能な技術者なんじゃないか、とスペッキヲは思い始めた。もちろん、本当に有能なのは組んでくれている諸先輩たちではある。だが、自分は少なくとも
それほどまでには足手まといにはなっていないのではないか、とは思えた。
 駅前のすき屋でねぎ玉牛丼をサラダセットで頼み、食した。この店の店員は、来るたびに全員入れ替わっているような気がした。
そして以前とは違い、店の奥では店員たちの私語がひどくなっている気がした。かつて彼らは、人であることを忘れたかのように公私を切り分けてオペレーティヴでマニュアル的な言葉しか発しなかった。
今は、そこらの学生の話題を客の前でも気にせずおしゃべりしながら、時には常連客の悪口まで言いながら注文を出している。
そんなもんなのだろう。時代は少しずつゆるくなっている。だが俺はどうだろうか、とスペッキヲは思った。
遅い夕食を終え、家路に向かうと、急に便意を催してきた。
それと同時に、俺は優秀だ!という思いがスペッキヲの中に熱くこみ上げてきた。
便意がますます激しくなり、コンビニに駆け込み、「トイレ貸してください」と言って奥に向かった。
トイレは使用中だった。
すぐに踵を返し、コンビニを出た。足早に歩きながら、近場にトイレを借りられる別の場所があるかざっと記憶を巡らせてみる。
色々な店舗はある。だがトイレを貸してくれるかどうかが問題だ。スペッキヲの内面に激しい焦りがこみ上げてきた。


 その時、突然、ラーメン屋の戸がガラッと開いて何者かが現れた。
のれんの向こうで顔は見えない。
スペッキヲが見たのは、むき出しの白い脚だ。
驚いた。
黒いドレス。なぜかスリットが正面に来ていて、その切れ目がほとんどパンツにまで差し掛かりそうだ。
「ああっ!もうだめ!」と何者かが言った。ハスキーな30代女性の声だ。
ひどく酔っぱらっているのかもしれない。戸を開けたが、まっすぐ歩けずよろめいて脚が開いている。
スリットがなぜか正面に来ていて長くくねった健康的な肉付きの白く生々しいナマ脚がのれんから通りに向かってはみ出ているのだ。
それは挑発的な流線形を描いてスペッキヲを試しているかに思えた。デリケートで感じやすい部分をさらけ出し、誘いかけて彼をおびき出そうとでもいうかのように。

 スペッキヲは歩き続ける。
便意がカオティックな状況になってきた。
頭が混乱し、便意はもうコントロールを超えた。
足早にあるけばあるくほど、振動が腹部を刺激し、肛門を内側から突き破ろうという圧力が高まる。
突然、土砂降りの大雨が降ってきた。


 ガストだ!ガストだ!
スペッキヲは今まで通らなかった通りに、今まで使ったことのないガストがあることを思い出し、赤信号を無視して歩道を渡った。
後ろからさっきの中年女性が「ああん!ああああん!」と叫んでいる声がした。訴えかけているのだ。何かが起こっているのだ。後ろで一体なにが起きているというのか。
山間部から発生したオークの群れが、中年女性の白いナマ脚をおそったとでも、いうのだろうか。
だが振り返っている場合ではない。
 しかしさっきの生々しい白い脚が脳裏にフラッシュバックしてしまう。次の瞬間、ついに便意の圧力がリミッターをぶち破り、スペッキヲの肛門が爆発的に痙攣した。
ホカホカとした熱気が尻と両足に広がっていく。
スペッキヲは、ウンコを漏らしながら足早に歩き続けた。
降りしきる大災害のような大雨。頭は真っ白になり、今まで入ったこともなかった裏路地を一心不乱に歩き続けた。その姿は、まるで競走馬のようだった。


 あの中年女性は、知らない天井の下で見知らぬ男に抱かれて目を覚ます。
スペッキヲの脳裏の真っ白さが、巨大な白いナマ脚のようにゆっくりとくねりながら交差していく。
その時、スペッキヲは見知らぬ男である自分に気がついた。ウンコにまみれながら、すべてを放り出して謎の中年女性と求め合っている自分に気がついた。その名前すらも知らない中年の女性と。


 -- ウンコはもうあふれ出したのだ。もはやどうなってもいいのだ --
スペッキヲの肉棒が爆発的に痙攣した。
「ああん!ああああん!」
中年女性は、激しいゾクゾクとした快感を、彼に訴えかけ、さらなる退廃へと彼を求め続ける。
白いブラックホールが彼の心を、ここではないどこかへと拉致した。そして彼は、白く透明な何者かになっている自分に気がついた。