その60:サイコキネティック痴漢技術総合研究所

 社長がメディアなどへの露出が多い会社では、メディアなどで親交が生まれた他業界の大物から社長へ直接声がかかる"社長案件"というものが存在する。
サイコキネティック痴漢技術総合研究所はメディアなどへの露出はほぼ皆無であったが、
倉橋総一郎の出自や母体との関係性から、さまざまな業界からの直接の声がけに応じることもままあった。


 そういった案件は、総一郎自身がマネジメントを取り、自分自身の責任においてクライアントの業績にまでコミットしていく。
依頼をさばいて金を受け取ることではなく、依頼の前提にある課題に対して、その依頼内容が答えになっているかどうかから見直していくこともある。
最終的には、クライアントが期待しているものがなんなのか、そこに自分自身が関わることでその期待や希望が実現されるかどうか、がビジネスなのであって
ものを売って金を得ることがビジネスなのではない、と総一郎は考えるからであった。


 そうした案件のいくつかを、いつのまにかギガビット・エンタープライゼスの一員となっていたスペッキヲが
直接指名で請けるのだった。極めて例外的な取引であり、双方の組織上の内規に設けられた例外規定によって可能になっている。


 そんなわけでスペッキヲは、割とまともなマネジメントノウハウで運用された大がかりな案件をこなしながら、割とのんびりと暮らしているのだった。
品川駅からはシャトルバスが出ているが、利用するのは帰りぐらいのもので、行きは近場の小さな駅を利用しそこからのんびり散歩している。
そのビルはギガビット・エンタープライゼスともう一社、別の大手家電メーカーが入っていた。テレビ局のスタジオがそばにあるが、
芸能人が歩いていることはまずない。あったとしても、興味がないので気がつかないかもしれない。


 朝、割とぎりぎりの時間に出社し、ざっとメールチェックを済ませながら、今日一日の予定に変更が必要ないかどうかを確認する。
ミーティングでは昨日の朝に共有した予定が未達だったか過達だったのかと、それを受けての今日の予定とを共有し合う。
無理があれば、予定やアサイン状況を組み替えるための調整を行うわけだった。


 それ以外のことについては、ほとんど互いに干渉はなかった。各々自分のやり方を持っていたし、ベッタリとした人間関係を強要されることもなかった。
メンバー全員で飯を食い一緒に帰らなければならないような会社も、あるにはある。
そうすることがマネジメントだと考える人々もいるにはいる。そういう意味では、ここはむしろ各自の自律と裁量にゆだねられているものが大きい。


 リーダーである五十嵐了司は、信頼できる人物だなとスペッキヲは思っている。
共同通信社にいたころの上司にも似ているが、よくよく関わってみるともっと違うタイプの魅力を持っている。
その魅力は、たたずまいであったり、姿勢であったり、風格であったり、言葉と本人の在り方とがガッチリと一致した安定感のようなものであったり、印象のようなものの中に現れている。
肉体と精神の軸にある骨組みが、太く稠密で、なおかつ美しく整っているのだ。
ただまっすぐにまっとうなことを堂々とゆっくりと執り行っていくだけでも、何の隙も生まれない正統派のエリートだという感じを受けた。
そうであるがゆえに、ちょっとしたアドバイスにも強いインパクトと説得力がある。
そしてあらゆる人間に対して、影響を与える存在感がある。
彼がいるかいないかで、場の空気すら変わっていくのだ。
 そういう人間を、そういう責任感を持ったリーダーを、久しぶりにみた気がするな、とスペッキヲは思う。
もちろん、飲みの場では、そんな五十嵐もややヌケたところを露わにするのだが、それも含めて、立派な人物だと感じていた。
自分はそういう風にはなれないし、真似しても似合わない。
自分には別の生き方、今の生き方の延長上で、自分らしさを磨いていくのだ。