その95:サイコキネティック痴漢技術総合研究所


 ここで断っておくべきことは、彼を浮かない気持ちにさせる何かの正体など、私は知らないのだということである。
ただ、そのことについて触れておかないわけにはいかない。これは都合上の便宜的な理由であって、特に他意はないのだった。


 さて、ここで一つ考えてみるべきことがある。彼は根本的に一匹狼として生きているということだ。
もちろん、彼にも群れる仲間たちはいるのだったが、それは昔そうだった仲間たちと今も必要があれば群れているというだけのことに過ぎない。
彼はかつては、仲間内ではほどほどに人気者として受け入れられていたことがあった。
学校というものは、似たような人間を集める機能がどこかしら勝手にできあがるものだ。
昼休みに飯を食わない変人たちが図書室に集まって、わけのわからないいたずらを考えて暇つぶしをする。そういう連中の中で彼は一番イカレていた。
地理的な距離を無化するネット社会の恩恵は、彼のその頃の仲間たちとの距離をゼロに保っている。
今なお彼らと、暴言を吐き合い、罵倒し合っていたのだ。彼らの仲は大体そういう関係だ。殺すぞバカと怒鳴り合っても
誤解が生まれない互いを知り抜いた腐れ縁だ。
 そういう関係を、彼はしかし、それ以後別の場所で作り上げることは二度となかった。どこにいようがどれだけ離れていようが
ネットやスマホで距離がなくなる時代に、ほかの仲間を求める必要もなかったのかもしれないし、あるいは、彼はだんだんと
自分に似ていない人たちの社会へと進むにつれ、自分が目立たぬ凡人になってしまうような集団の中で生きるようになっていったともいえるのかもしれない。
 彼自身は、孤独を感じるような環境には生きていなかっただろうが、他人の目には常識的に考えれば
”彼はきっと孤独なのだろう”と捉えるしかないような側面しかないことをなんとなく察していた。
そして、そういう捉えられ方は、彼に対する接し方に影響し、どことなく彼を無駄に混乱させているということがあったのかもしれない。
もちろん、実際のところ彼は目立たぬ凡人なのだから、”彼はきっと孤独なのだろう”という印象すら抱かれないほど無個性なマネキンでしかなかったのだろうが。


 他人にはどうも思われていなかったにしても、彼自身だけは、彼を非常によく観察していた。
そして、自分自身を、自分自身に対してどう見せるかにこだわっていた。
しかしその自己イメージは、他人との人間関係における相手の反応から得られるフィードバックから形成されているものでもあった。
そのフィードバックから、彼は自分がどのような人間であるのかを逆に知らされる。
そしてそれと自分の思い描く自己イメージとの差を、調整していきながら、適切な自分を知っていく。


 彼は、他人に無関心であったがゆえに、他人に対して自分をどう思わせるかという事には無頓着だった。
そのことに非常に関心があったのであれば、例えばファッションに気を配るとか、話し方や姿勢を正すとか、(あるいは見せたいイメージによっては)それをあえて崩す、
といったような事を行っていっただろう彼が、そのことには極めて無関心だった。
自分自身が快適であることを重視することのほうが彼には大事だったようだ。


 だが結局のところ、それらはどこかで彼自身の首を絞めている。そこには何段階かのステップがあり、間接的原因を作っているようにも見える。