その99:サイコキネティック痴漢技術総合研究所


 ちなみに彼は、今突然そのようになったというわけでもなかったようだ。
これまでも彼は、時々そういう仏頂面を下げて何か思い悩んでいるような様子になることはあった。
仲の良かった高校時代の友人達らと飯を食っている時ですらそういう風に見えることはあった。


 そしてそれは主に、その友人らが別の友人を連れてきた時にそういう様子になるようであった。
そういう場合、その「別の友人」がゲストとしてその場面の主役になるだろう。
スペッキヲはその時、聞き手に回るだろう。だが本人は、親しい仲間たちとの間で、ただ聞き手に回るような
そんな状況を好んでいなかった。場が、社交辞令的なよそよそしさに包まれていくことを居心地悪く思っていた。
 そしてスペッキヲはその場で、ある種の持ち味を発揮することを求められてはいて、
その為に「別の友人」らと引き合わされているにもかかわらず、何かその持ち味とは裏腹に、人見知りのようにつまらない態度を
取ってしまうことが多かった。


 往々にして、人は、自分と仲間たちだけの間で生きているというわけではない。
普通であれば、過去や未来、家族や親せき、それまでの人生の中で培ってきたその時代その時代の仲間たちというものを
一人の人間の中に抱えている。自分と相手とのかかわりの間には、自分の過去と未来の人間関係や、
相手の後ろにいる過去や未来や現在の人間関係との間の関わりというものも時々、垣間見えてくる瞬間がある。
相手の裏側にいる無数の人たち全員に、理解され、好感を持って意気投合しなければならないのだとしたら、人間関係を新しく作り上げることは
恐ろしく面倒で見返りの少ない営みのようにも思えた。


 彼という人間を支えていたのは、分かりやすさではなかった。
それは彼の中の二面性だったのだ。その二面性は、とてつもなくまじめな努力家でありながらも、言っていることはバカみたいに単純である
という二面性だった。初対面の人間には、それは伝わることはほとんどない。
バカみたいなコドモであるという面だけが伝わり、ナメられて見下されるだけであることのほうが多い。
だから彼は、付き合いのない他人に自分を見せることはほとんどなかった。
そしてそうしている間の彼の人生は、消化試合のような退屈なつまらない時間を作り出していたのかもしれない。