その101:サイコキネティック痴漢技術総合研究所


 そんな”重たい”生きづらさを抱えているように見られがちなスペッキヲではあったが、しかし、彼本人は
そういう生き方をむしろ望んでいた。
 というのは、キャラを演じるためにはスキルや情報を求められるが、「素」であることは何の苦労も求められなかったからだった。
彼は望んで、どこか無愛想な真顔を下げて、作り笑いや愛想笑いの世界から積極的に退却していったのだ。


 そういう彼の態度は当然放っておけば、周囲には摩擦を作ってしまう。彼自身はそれを理解していたから、なるべく目立たぬように
ひそやかに息をひそめていた。そんな様子が、はた目には”思い悩んで押し黙っている”と誤解されていたのかもしれない。


 彼を悩ませていたものは、彼自身の内発的なストレスというより、「素」であることを彼自身がそれなりに満喫しているということが理解されず、
”思い悩んで押し黙っている”と誤解されてしまうことに対してだったのかもしれない。
 大して楽しみもない人生を過ごす中でバカになるために浴びるように酒を飲む彼は、飲み会ではバカになって何かをさらけ出し、
自分なりにすっきりしているように見えるから、それを確認してまわりは安心した。ただ、それはあくまでも”思い悩んで押し黙っていた人間がそれをさらけ出してすっきりしているな”
と理解されるだけのことであったから、彼にとっては逆に誤解を増やす悩みの種でしかなかったのだろう。


 普通に考えれば「素」であることはキツい。だからこそ人はキャラを演じて人間関係を情報処理している。
他人をサッと理解し、自分がサッと理解されるためにこそキャラを演じているのだから。
 だがスペッキヲにとっては、キャラを演じることのほうがキツいのであり、真顔でいることのほうが楽なのだ。
彼はキャラを必要とするほど複雑な人間関係や人脈の中にははじめから居場所を求めようと思っていないのであり、素を見せあえる昔ながらの仲間たちと深くて長い腐れ縁を続けることのほうに
居心地や実りがあると思っていたのである。