その108:サイコキネティック痴漢技術総合研究所


 トンネルの中で、スペッキヲは声を聴いた。
その声は、どこかしら工藤怜に似ていて、高いような低いようなしかし押し殺したようなところのある強い声だった。
声は訴えていた。ダメなやり方を力技で軟着陸させつづけるぐらいなら、早く失敗して、そのやり方そのものを見直す場を設けることが大事だと訴えていた。
 何のことなのかスペッキヲは分からなかった。しかしその声を鳴らしているのは、自分自身の何かであることも確かだった。
確かに今の自分には、何かしらのいびつなメソッド(=方法論)がある。
 そしてそれは結局のところ、明らかにダメなやり方だと彼自身気づかないわけではなかった。
だが、彼には泥沼の中で磨き上げた、鍛え上げられた荒業の数々があった。その力技が、結局あらゆる不可能をなんとか潜り抜けさせてしまっていた。
生き残る見込みのない彼を、生きながらえさせる誰にも真似できない言葉にもならない独特の論理を超越した問題解決能力。
それについて彼は他人に説明することができない。
 自分のやり方は誰にも伝えられない。誰も真似できない。それは根本的には、彼にしか実践できない。彼すら言葉にできない直感の中に核を秘めたブラックボックスだ。
だから彼は、そのやり方を何度も捨てようとしてきた。
もっとオーセンティックで標準的なやり方を会得しようとしてきた。と同時に、自分のやり方もまた、オーソライズされたやり方に近づけようと試行錯誤を繰り返してきた。
 彼が他人のやり方を、理解するために、あるいは彼が他人に理解されるために、それは必要不可欠な努力だった。
そうすることによって彼は、入れ替え可能なパーツになってしまうかもしれない。つまり、誰にも真似できないやり方を捨てた、誰でも真似できる存在になってしまうかもしれない。
しかしそれはもう一段上のレベルで、自分ひとりでは到達できない偉大なゴールを目指す上では、どうしても必要な事でもあった。