その109:サイコキネティック痴漢技術総合研究所


 筱宮厳についての話をしよう。彼は、気難しい男だった。要するに、ありとあらゆるものについてダメだダメだと言っている男だったのだ。
何か口を開けば聞く前からその中身は決まっていた。何かを評論家気取りでダメ出しし始める。
 そうすることによって、彼はまるで何事かについて何かしら分かっている人間である自分に陶酔する。ところが彼はそうすることによって何もかも失っていった。
彼は何かしらのストレスを抱えているだけだったのであり、そのコーピング手法が何かを非難することしかなかった。
脳科学の知見によれば、脳内の情報処理には主語がない。何かに対する批判を脳はただ自分自身に対する批判と同じように処理する。
つまり筱宮は自分自身を絶え間なく虐待せざるを得ない。他人のように見える自分を、ノーガード状態で殴りつけ、自分で自分に拳をめり込ませ続けているようなものだった。


 彼が、ただ鏡に向かって孤独な戦いをしているだけであればそれはそれでいいのだろう。
自分自身のどうしようもなさを彼は他人の中にしか見いだせないということであれば、どうにもならない。それだけの人間でしかない。
その駄目さが実は自分のダメさであることを理解できるようにならないまま大人になれてしまうということが驚くべきことであったが、そんな人間は今では珍しくもない。
そういう姿は凡庸でしかなかった。


 スペッキヲにとって筱宮は、何のかかわりもない他人に過ぎなかったが、筱宮にとってはそうではなかったようだ。
筱宮の脳内では、スペッキヲは心の友かさもなくば宿命のライバルかなにかだったのだろうか。
スペッキヲは筱宮を相手にしなかった。風景かなにかのように主体を持たない存在のように思えた。なぜなら彼は何も生み出さない。
自らの意志を、他人をつかってしか表現していなかったからだ。
 だが一方で、その姿、原始的な姿には、確かにスペッキヲの中にもある根源的な未熟さがあることも気づいていた。
その未熟さは、逆にスペッキヲの中の未熟さでもあったからだ。


 筱宮は、3年前に死んだとされていた。そういう連絡を人づてに聞いたことがあった。だが、彼は記憶の中でずっとあの頃のまま生き続けている。
夢の中に何食わぬ顔で入り込み、また何かを批判し始める。そういう男がかつていた。
そして誰にも知られることなく、この世から綺麗に去っていった。
思い出の中に、生き続けている。彼を知るすべての人々が死ぬまでの間は。