スタミナ制ソーシャルゲームとは何だったのか勝手に考えてみた


 2016年はソーシャルゲームの世界ではかなりインパクトがある一年になってるのかなという気がしてる。勿論それは、ポケモンGOもそうなのだが
ここ数年固定化していたAppStoreやGoogle Playのランキングが全体的に再び変化が激しくなってきた。


 そもそもの話に戻ると、だいぶ昔のソーシャルゲームというのは、元々はモバイルウェブサイトの技術で作られたゲームだった。
モバイル用のflash演出と、画像素材しか見栄えで差別化できる要素がなかったので、画像と演出が一番派手になる画像で戦うカードバトルゲームってのが
ジャンルとして一世を風靡していたのかもしれない。


 その後、二つの流れがあって、HTML5でさらに演出を派手にしていく方向性と、一式クライアント側にダウンロードさせ更新が頻繁に入る部分をサーバに持たせるアプリの方向性があった。
これは誰が見ても明らかなように、今アプリが主流になったのだった。
そしてアプリになることによって、スマホを前提にした作り方ができるようになったことから、スマホ独自の操作(スワイプ操作)を使えるゲーム体験を提供したパズドラとモンストが
なが〜い間、ランキングの頂上に座っていた。

 
 ポケモンGOは、さらにここに位置情報をやり取りできるという部分を使って新しい体験を見せた。
と同時に、クエスト部分がただの演出ではなくガチなゲームループになっているゲームがランキング上位に現れ始めた。


 この部分はどうやら議論も深まっているようで、スタミナ制の長所と短所として知られている。
かつてのソーシャルゲームは、クエストで敵が攻撃してくる事がないので、ボス以外に負けることがありえなかった。ポチポチポチポチタップしていくだけである。
そこでハードルになっていたのは、スタミナという仕組みだ。クエストを進めるとスタミナが切れる。待つと回復するが、それまでは進めない(課金すれば……)という仕組みだった。
ところがこの部分が今日では徐々に時代と共にこのスタミナ式のポチポチゲーでないスタイルが主流に置き換わっているのだ。スタミナが切れる事によって進めないのではなく、自分自身がうまくならないとむずかしさが上がって進めないという昔のゲームっぽさが入ってきている。
新しい攻略法を日々更新していく攻略サイト群やら、攻略情報などが飛び交って、話題性がどんどん飛び火していくような言論空間がSNS上に広がっていく。
 とんでもなくうまいプレイヤーになれれば、課金しなくてもどんどん進めるのだろうか?という気になってどんどんやり込めてしまう。身の丈以上にうまいプレイヤーだと思われたいから
ついつい課金してしまう。
 それまでのカードバトルゲームでは、ここはうまい下手よりも運と課金額が左右していたが、うまければのし上がれるぞ!というゲーム性がうまく調整されていることによって
なんかこう、すげー熱いことになってきている気がする。


 考えてみると不思議なことだけど、スタミナ制は公平な仕組みではあったように思える。
うまい下手は問われていなかった。課金額とかプレイ頻度しか問われていなかった。だが今や、スタミナ制ではなくゲームゲームしたゲーム性に置き換わり、
流行りのゲームにはアクション性とか選択の組み合わせ判断の正確さやら速さやらが遊びの部分に入るようになった。
こうしてゲーム性が高まれば高まるほど、人間のスペック差なり集中力の差みたいなものが入ってきて不公平になっていく(賢さ冷静さやる気なり反射神経なり動体視力なり)。
しかし人は、自分こそがうまい!つよい!才能がある!俺TUEEEE!と思うから、この不公平さに逆に熱狂してしまうのかもしれない。
うまくなることによって、強くなることによって、選べる選択肢は増え、自由度や可能性がどんどん上がっていく。不自由な束縛は解除されていく。
かけた時間ではなく、一瞬の集中力と判断力で決まるかに思える試合的なバトル!
真剣勝負で大逆転だああ