誰かの事を好きになる気持ちと、恋愛は後ろめたいという気持ちは両立できない


 おれたちのようなモテない人たちにとっては恋愛というのは元々ムリなことなのだから、そんな感情から解き離れていたほうが
自由でカッコいいんだという価値観がとても強い。


 だから人を好きになる気持ちは恥ずかしくてカッコ悪いこと、弱いことだという原理主義がある。
ダサくてキモくてモテないんだから、人を好きになって相手に迷惑をかけては、いけないということなのである。


 しかしそれでもなお人を好きになってしまう事はあり得る。
 その時、そのままでは、どうなってしまうのであろうか。


 それがきっと、コソコソとした、本当に恥ずかしい求愛行動に出るということなのかもしれない。
大抵の、魅力ある異性というのは、サバサバして明るく堂々としたシンプルな求愛行動は理解できても、
返しにくい気持ち悪い求愛行動は、本当に嫌で嫌で仕方なく、生理的にムリだと一瞬で感じる。
一方的で、自己満足的だと感じて、不快に感じる。


 だからその想いは裏腹に相手を怒らせ、そして好きだと思えば思うほど嫌われていくことになる。


 その問題を解決するのは、中々むずかしいことなのかもしれない。
 というのは、実際にキモくてダサくてモテないおれたちは、原因が恋愛はカッコ悪いという原理主義に問題があると気づいたところで、
それを捨ててもキモくてダサくてモテないこと自体は変わっていないのだから、一層傷ついてしまうだけだからである。


 そういうウジウジした求愛行動の意図を全部裏読みしてくれるような”あんたもしかしてあたしのこと好きなんでしょ”と見透かしてくるような異性でも現れない限りは
その恋愛カッコ悪い教から脱洗脳されることはできないだろうし、
そういう原理主義を捨て去って大丈夫だと思えるような自信の無さの捨て去り方は難しいのかもしれない。


 あるいはキモくてダサくてモテず、成功する見込みなどないと分かった上で、傷つくことを承知でマゾヒスティックに
高値の華にアプローチし続けるようなタフさでも身につけて、偶然タイミングよく何かの引きの良さでも発揮するなりなんなりして
ワンチャンあるまで耐えざるチャレンジを続けられるようなメンタリティを鍛え上げる覚悟をするしか無い事を知ったうえで
それは無理だと完全に諦めるか、やってみるかの二者択一を選ぶしかないのかもしれない。