このようにしか今は説明できない

 おそらくそうだと今は言うしかない事は、おれたちは各種メディアによって俳優や女優のような相手に与えるイメージを完全に自在に
コントロールできるプロの振る舞いにさらされすぎたせいかもしれない。


 大抵の異性に対して、例えば互いに、欠点を一瞬のうちに見つけることができてしまうだろう。相手が一般人でなくても、
例えばAKB48の人たち相手であってさえ見つけられるかもしれない。


 そういう欠点を見つけてしまうと、そのことを意識した上でコミュニケーションを取りながら、本当にそのことを忘れてしまえるだろうか?
 それともその欠点が常に引っかかったような顔をして、奇妙に間合いをとったままのコミュニケーションになってしまうだろうか?

 
 何と比較しての欠点なのだろう。それは本当は、普通の人たちの間でさえ目立つような強烈な欠点だろうか。あるいはそもそも、
そんな欠点は存在せず、自分の欠点を相手に投影してしまっているだけですらあるかもしれない。


 しかしそういう欠点が、見つけられないほどの相手が一般人の中にもそれなりに見つかりもする。
 そういう相手は、高値の華だという風に思える。しかし本当は、人はそういう人たちとうまくいかないことをひどく恐れながらも、
心の奥底ではるかむかしにそれを諦めるに至ったショックを克服し、そういう人たちとまともにかかわれる自分になれることを
本当は心の底では望み、そうなれることこそが幸せで、それを諦めたことによって何が幸せかを見失っていたりするものなのではなかったろうか