奥ゆかしい拒絶ということ

 学生時代、よく宗教団体の勧誘につかまったものだった。
 彼ら/彼女らは、連休の始まりや連休明けの、人通りが少ないタイミングで構内で絡んでくるのだった。
私は、宗教に関わるほどの何かがなかった。
人をそれほどまでに惹きつける教義自体には興味があったにせよ、宗教信者にも具体的な宗教にも、関わりたくなかった。
だから話を聞くまでもなく、彼らの勧誘に対する回答は心の中では常にNOであった。


 しかし、彼らが心のよりどころとしている可能性すらある宗教を、正面切って否定するのは残酷すぎるとも感じていた。
場合によっては彼らは二人組で現れることもあり、相手が熱狂的に信奉しているものを否定され、殴り合いになった場合も想定した。


 一番長かったのは三時間ぐらいの立ち話だった。彼等は、宗教の教義でせめてくることはほとんどなく、むしろ
アカデミックな議論を武器としてこちらの常識を論破しようとしてくる事が多い。そのような議論自体は、私が学生時代
とても求めているなにかではあった。だからさまざまな反論や疑問を提起して、話しは延々と長引いたのだった。


 彼らはNOと言わない私の態度を、誤解したのかもしれない。「もう少しで、こちらの口説きに落ちるぞ」と思ったのかもしれない。
しかし私は、彼らを傷つけないことと、個人的な興味で話を聞いていただけで、たとえもっと話が長引いたとしても
どれだけ精神的に疲弊していたとしても、結論がNOであることは一切揺るがなかった。最初の結論から気が変わる可能性は一切ない。そしてそれを表にださないことが
彼等を傷つかせないための思いやりだとさえ思っていた。


 そういうことは、奥ゆかしく理解しがたいことだと思われるかもしれない。
しかし、最近になって気づいたことがある。


 女性が男性に対して何かを拒絶する際の態度も、実はとてもあの時の自分の応じ方に、似ているような気がする。
はじめから気がないにもかかわらず、そのことによって相手が傷ついたり、逆上しないように気をつかった間の伸ばし方をする。
男性はそれを、もう少しでこちらの口説きに落ちるぞと誤解してしまう。
そうではなく、はじめから答えは決まっている。最初の結論から気が変わる可能性は一切ない。NOである。そのことを察する能力が、我々に欠けているのかもしれない。