彼女と祭りに行った。

 彼女が生まれ育った町のお祭りに行った。
 三連休の初日である今日は、圏央道がかなり混雑しており渋滞に巻き込まれた。彼女は「意識が飛びそう」なほど眠かったそうだ。1980年代や90年代、00年代の懐メロがラジオから流れ、そして我々は彼女が十代の半ばまですごした町にたどり着いた。そこは何か、自分が生まれ育った街並みにもどこかしら似た雰囲気があった。山が、河が、そして団地。遮るものが何もない広い空。静けさ。彼女が幼いころから馴染みであったラーメン屋さんに入ると、お店のご主人夫婦は「あっ」と言った。二人は彼女の事を一瞬で思い出し、満面の笑みになる。僕は驚いた。十数年も会っていなくても、彼女のことは街の誰もが覚えている。お店の他のお客さんも。自分はその場の中でひとりだけポツンと浮いている気がした。だが自分も、彼女らのそのいい雰囲気を壊さないようにしなければならないようでもあった。彼女がヘンな男を連れてきた、という印象を与えては、心配をかけてしまうだろう……。炒飯がおいしかった。彼女が幼いころずっと食べていたという味であった。店は記憶の当時とは変わっているところもあるのだそうだが、それはとても大切な思い出の場所であるだろう。自分には、思い出はあっても、自分のことをそんな風に覚えてくれている人々は、いただろうか……と思う。少し寂しさを感じた。彼女が遠い存在でもあることを、少し感じた。いや、そんなはずはないのだ……とも思うけれど……。そして彼女の生まれ育った町の祭りに行った。1000年近い伝統があるその神社のお祭りは、近隣の駐車場を埋め尽くすほどごった返していた。そして、露店の人並みをかき分けながら私たちは流鏑馬を見た。大きな馬。背中の高さが、人間の頭上を越えるほどの大きな馬に、若者がまたがる。そして馬は走り出す。人々はおっと歓声。人並みの向こうで、弓が射られ、的に当たる気配がする。我々はどんどん時代を遡っていった。そして帰り道、ラジオではAIについての、公開授業のようなものを聞いた。そこでは哲学も、創造力も、そしてAIと文学についても語られた。学生たちが、みずみずしい感性で意見を先輩たちにぶつける。我々は過去の中からいつのまにか飛び出して、未来に連れられて行く……。未来には何が待っているのだろう。数日前、ヤフーニュースではほんの少し前までは実は北朝鮮人工知能大国だったという事が書かれていた。日曜日にはトランプ大統領が来日して総理とゴルフをするらしい。そのために交通規制も敷かれているという。言葉とはなんなのだろう。言葉の意味とはなんなのかを、人工知能が人間に教えてくれる日が来るのだろうか。知能を作れるのだとしたら、それは心を作れるのだということを、意味するのだろうか。人に愛され、親切にされるような心を持った主体を……。などと考えて、少しふてくされている。なぜ自分がむくれているのか、自分の言葉で説明することは難しい。僕には人工知能どころか、自分の心さえも、分からないのだった。