幻影

 朝目が覚め、酩酊感と全身の疲労感によって起き上がることに困難を感じた。昨日は仕事の行事があって多少なりともお酒を飲んだ。私はアルコールに強くない。飲酒の習慣があったために酔いにくくなっていたが、数日前から酒を絶つことにしていた。そのため予想通り、酔いやすくなっていたようだ。腹に食い物をいれていない状態で飲み始めたのも、よくなかった。そう忠告があったのに耳を貸さなかった自分のせいである。仕事上のコミュニケーションには、明確な目的意識があるので困難は感じない。しかし、こういう行事となると、私はいつも困難を感じる。話に入っていく事をいつも遠慮してしまう。それではよくないと言っているもう一人の自分がいる。社交性を発揮しなければと言っているもう一人の自分に急かされて誰かに声をかけると、恐らく相手は別の誰かと会話中で、自分の言葉は聞こえもしないかもしれない。そういう場で居心地の悪さを感じるのは、自分の過剰な自意識だけの問題だ。だがそれは私にとって容易にコントロールできるものではない。私はいつものように、酒に手を伸ばす。アルコールはもう一人の自分を眠らせる。その声に脅かされることがなくなる。私は場違いなほどにやにやした笑みを浮かべ、すると誰かが様子を見に来るかのように話しかけてきてくれる。そのようにして自分は、不自然ながらも、なんとかその場に立ち位置を得る......。だが、いつもう一人の自分が鎌首をもたげてくるか。私は続けざまに酒をあおった。そのようにして、しかし、頃合いを見計らって家路へと抜け出すと、今度は酔ったほうの自分が、暴走をはじめる。
 LINEを通じて遅くなったことを彼女にお詫びし、そして頼まれたお土産を買い、しかし帰り道、もはや止められない飲酒欲求のために歩きながらアルコール度数9%のストロングゼロを飲んだ。街頭に立つ飲み屋の呼び込みのお兄さんお姉さん達は、私には目を合わせなかった。私は満足を感じた。悦びだった。私は幸せだ、と思って歩いていく。すべてが順風満帆であるように思えた。帰宅し、彼女と何かを語った。おそらくは、色々な言い訳をしていたのかもしれない。上機嫌で言い訳をまくしたてたのだとしたら、ひどい事をしたと思う。どのように眠りについたのか、まったく覚えていない。朝起きると、布団の中から彼女のパンツが出てくる。寒い朝だった。ここ数日はずっとそうだ。天気予報によると、三日間かけて少しずつ最高気温は2度ほどずつ回復してきているようだ。寒い中彼女が朝食の支度をしてくれる。私はテーブルの上に突っ伏し、そしてそのあと床に転がった二つのクッションに仰向けに倒れ込んだ。
 色々なことがあって、仕事も順調かどうか自信がもてなくなってきている。想定していたほど、簡単にはいかない問題があるのだった。もっとも、私はいつも、大したことのない事を心配して、困難だと見えていても、終わってみると別の角度から簡単に解けていることのほうが多かったのだが......。
 これでいいのかどうかを、絶えず自分自身の自意識に見張られている気がする。何かが先送りされ、やがて手におえないほど巨大な問題として、何か抽象的な壺からあふれ出てくることになる予感を感じる。卵かけご飯とお味噌汁を二人で食べ、そして会社にお休みの連絡を伝えた。私はまたクッションに伏せた。考えたくない問題が、手を付けたくない問題が、忘れ去られた場所で音をたてている気がする。彼女は食器を片づけて戻ってくる。私は布団の中に戻った。彼女が隣で添い寝してくれる。私は彼女のぬくもりに甘えるようにその身体に抱きつき、小さなズレをこすり合わせるようにして密着する。目を閉じた彼女の唇が少し開き、ため息のような息が漏れる。その唇の間に眠る舌を、私は赤ん坊のようにしゃぶった。少しずつ記憶が薄れていく。目を閉じると、もう何も見えない。ざらざらとした舌と全身を包む温かさだけを感じた。