ザ・シークレットマンと、ゴーンと外国人労働者

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 先日、Amazonビデオでザ・シークレットマンを観た。

 これはなかなか渋い映画だった。ウォーターゲート事件とか、ディープスロートとか、この手のテーマは非常に熱いものがある。脱線するけれど、「信じる信じないはあなた次第」みたいなアレの番組で関暁夫さんが面白いのだけど、氏はそもそも放り込んでくる元ネタ自体が面白い。ケネディ大統領暗殺事件だのなんだのかんだのである。ああいう、X-FILES好きそうな人たちにささる定番要素を分かってて放り込んでくるところにエンターテイナーを感じる。考えてみると、メタルギアソリッドが面白かったのも、このディープスロートとかアメリカの政治腐敗関係の名詞がちょいちょいシナリオに盛り込まれていて、当時十代の若者たちにとって渋い大人のハードボイルドな世界観を魅せてくれていたことが一つの要因だった気がする。

 それはさておき、ザ・シークレットマンは冒頭から非常に興味深かった。よくCIAとかFBIとかが怖いのは、ネタをつかんだ瞬間に逮捕するのではなく、それを知りながらも秘密にしておいて取引材料につかったりするからだというわけだ。

 不倫や不正を調べ上げておいて、ポーカーフェイスで黙っている。ところがいざ相手が力を持ちすぎて国益に差し支えるようになってくると、「Aさんとの不倫の問題を私たちは誰にも言いませんよ。私はあなたの味方です」と言って、すっと現れて相手の肩を叩き、一気に相手の気持ちを支配するのである。

 

 ところで、カルロス・ゴーンが逮捕されたのは、外国人労働者の受け入れ拡大の法制度が議論されている真っただ中のことだった。

 東京地検も、やはりFBIやCIAと同じようなやり方をしているように見える。何年も前からすべてを把握していながら黙って泳がせている。まるで何も気づいていないかのような様子だ。ところがそれはいざというタイミングでそれを突きつけて失脚に追い込む為なのだろう。ホリエモンさんもかつてそんな風にやられたのだった。

 ズブズブの癒着や馴れ合いの構造を改革するために日本は今、日本人に対して冷徹になれる冷血な外国人リーダーを必要としているという考え方がある。引き合いに出されてきたカリスマがカルロス・ゴーンだった。ところが、この外国人労働者受け入れ拡大の法制度と同時にカルロス・ゴーンを叩き落とす報道を繰り返していくことで、日本社会に強いメッセージが刷り込まれつつあるのを感じる。

 

 今年はイニエスタがやってきて話題になっていたけれど、日本は今、スポーツであれビジネスであれ、外国人の突破力を求めている。オリンピックなりなんなり、戦おうとするときにどうしても二世でも三世でも、外国人的な骨太なフィジカルを持った選手を必要としている。少子高齢化する逆ピラミッドの人口構造を支えるためにも、避けられない現実的な政策だろうと思う。

 

 ところが実際には、我々は本当に外国人リーダーがやってきたとき、とても困るのかもしれない。外国人や、帰国子女に取り囲まれて、彼らが英語で談笑しているとき、彼らは何を話しているのだろう、もしかして、じぶんの悪口だろうか? と考えてしまうのかもしれない。屈強な体を持つ外国人を前に、彼らの国の言葉で、同じ土俵で戦って自分たちがほんとうに太刀打ちできるか不安な人も多いかもしれない。彼らは片言の日本語は笑顔で話してかわいらしいが、英語を話しているときはクールな別人のような顔をする。その二面性をみて、かわいらしい笑顔は演技にすぎなかったのかと思えてしまうかもしれない。日本代表はあのときどうして、オシム監督を追い出したのだろう?

 

 いずれは外国人を受け入れる必要があるのだが、それよりも前に、我々の社会も我々も、もっと強くならなければならないのではないかという気がする。英語もさることながら、日本語を話す日本人同士ですら意思の疎通がうまくいかないコミュ力の社会性や、人種が違うわけでもないのに趣味の差異で差別が起きるような閉鎖性を、解きほぐしていくのが先なのではないかという気がする。

 そしてそれができなければ、確かに今のまま日本が大量の外国人を受け入れると、日本人の中でも特に、英語が話せずコミュ力も低い我々にとって非常につらくしんどい時代が訪れることになってしまう気がした。

 

 幼いころからハリウッド映画に親しみ、日本よりもアメリカ文化に憧れて育った自分ではあっても、実際に一時期、上司や同僚にアメリカ人や帰国子女が多い会社にいたころのことを思い出すと、理想はさておき自分の現実は、そういう文化の中でうまくとけこめないのが現実だということ、ましてや日本人同士の中にすらうまくとけこめないのだからなおさらだということを、思い出すのだった。

 

 外国人が悪いから、ということではない。我々日本人の中に、強さがないからこの法案は見送るべきなのだ。アメリカザリガニブラックバスが琵琶湖をはじめとして日本の自然にはびこったように、強い生き物の流入によって我々は、自ら良かれと思った判断に導かれて自滅してしまうことになりかねないと思う。我々自身も、オリンピックに向けてもっと英語を早く使えるようにならなければならないと思う。街が屈強な黒人であふれても張り合えるぐらいの、デカいガタイを鍛えあげる必要もあるのかもしれない。だがそう仕上がるまでは、まだ早いのではないか……なんてことを感じる。