社会学の終わり

 数年前まで、希望格差社会とか、派遣切りとか勝ち組負け組みたいな枠組みはそれなりの注目されたトピックだったように思うのだが、震災以降そういうトピックはほとんど注目を集められなくなったようだ。それだけでなく、勝間和代さん的な上昇志向とかも対を成すように忘れ去られてしまった。

 WEB2.0の当初は、ある種のアルファ的な層に属する人たちと自分たちとが急に身近なレイヤーでつながり得るという希望が持てていたものだが、彼らは客層にひっぱられるようにして徐々にダウナー系に身をやつしていき、本当のアルファ層はサイバーカスケードの壁に阻まれて目に見えなくなっていったのかもしれない。

 下町と丸の内の間の差とか、土地によって格差があることを指し示したといえば、例え「翔んで埼玉」ブームなんかもそうであるかもしれない。価値観の違う人々は別の地理へと分断され、分断統治の中でサイバーカスケード状態を生きている。

 

 人々は、自分の実存のレイヤーと希望のレイヤーとの間での混乱に苦しまぬように同じレイヤーの価値観を持つ人々だけをフォローしてその世界をすべてだとみなして心の繭に閉じこもる。すれ違う人々が透明化し、自由自在に重なり合い突き抜けてしまいそうに思えるこの時代の、優しいまどろみような無関心の中で皆、うたたねをする。