若いころに夢をもっていたのではなく若いころに消費させられていた夢

 そういうものがあった。

 アニメや漫画やゲームや映画は、夢をもたない我々の夢と言う空き地にすっぽりとおさまってくれて、ぼくらはパラダイスや、フロンティアや、自由への闘争での活躍を夢見せられて育った。それらは、大人たちが夢見て諦めたマルクシズム、大下克上時代の新しい王への渇望だったのではなかったか。結局、それらを語られ、聞かされ、魅せられて我々は大人になったが、社会はそのようなヒロイスティックな戦場と言うよりも、ロボティックな役割関係の自動システム、半自動社会だったのである。そこにおいては英雄はなく、AOKIのリクルートスーツに身を包んだ若者たちの夢やあこがれが、大人たちに容赦なく使役され搾取されていく過酷な貨幣の畜産試験場とでもいうべき装置がごうごうと音をたてて歯車をまわしていたのであった。