サーカスのゾウ

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 話が面白いことで生徒に好かれていた数学の先生が話していたことで、今でも印象に残っていることがある。それは鎖につながれて育てられたゾウの話だ。はじめ小さかったゾウは、小さいころに鎖で切り株につながれた。ゾウは一生懸命に動き回って、なんとか自由になろうとしたが、やがてある日、自由になろうと望むことを諦める。そうして彼は、どんどん大きくなっていった。切り株も鎖も、いまの彼ならもう彼を縛るには弱すぎる。彼は望めば鎖を引きちぎってどこへでもいくことができるようになった。しかし彼は、その後鎖をとかれてもどこへも行こうともしなかった。子供ははじめは自由な発想をもって自ら考える力を持っている。なのにこのゾウと同じように、まだ弱い内に大人たちによって、色々なことを諦めさせられているように見える、と先生は言った。最初はとても柔軟な考える力をもって集まってくる子供たちが、お行儀のよいロボットのようになって、社会にでるころには鎖につながれてもいないのにどこへも行けなくなるように調教されてしまっている。やりたいことが何なのか分からない、マニュアルがなければ何もできない、思考停止でまわりの人たちを上手に真似る、そんな人材が量産されているのだと。そういう人間は学校社会では評価されても、自分の人生を幸福に生きることはできない。とするならば、人生をうまく生きられるのは優等生ではなく、頭のいい不良なんだということを、あの話を思い出して考える度に、思う。そういえば僕たちも、会社に入りたての頃は、面接で大きな夢や理想の未来を会社に抱いていたろう。自分の力を発揮して水を得た魚のように活躍したいという若者を、大人たちはザルですくって、そして扱いやすい人材になるよう、洗礼を浴びせて上下関係の中に組み込んで目の輝きを奪い取る。部活動の先輩たちを恐れる新入部員のようになる。そうやって今度は次の後輩たちに、何の疑問も持たず自分たちが先輩らから受け継いだ洗礼を浴びせる。どこでも見られる光景だ。学校であれ、会社であれ、部活であれ、集団は新参者がおとなしくなるまでアメとムチで調教する。自尊心を砕かれ、なんでもいう事を聞く都合のいい奴隷になっていないか。飼い慣らされてなんの疑問も持たないサーカスのゾウになってはいないか。もう一度自分の両手をみつめてみる。そこに我々を縛る鎖などもうない。おれたちはもう、放し飼いの野獣である。自分の頭で考え、したいことを選択できる、野蛮な平原の放し飼いの野獣なのである。